ありがとう、BCLの神様・山田耕嗣さん 追悼サイト1970年代に大ブームとなったBCLの世界で神様と呼ばれていた山田耕嗣さんがご逝去BCL(海外や国内のラジオ放送を聴く趣味)の世界でおなじみの山田耕嗣氏が2008年8月19日夜、癌のため逝去されました。67歳だったそうです。通夜は8月22日18時から、告別式は8月23日11時から行われました。戒名は空翔院導耕淡波信士。 ネット上では、たくさんの山田耕嗣先生を悼む声がラジオNIKKEI(旧ラジオたんぱ、日本短波放送)のサイトで、山田耕嗣さんご逝去のニュースが報じられると (こちら)、ネット上の各地で追悼のためのブログのエントリーや、掲示板への、山田先生を悼む書き込みなどがたくさん行われました。その後、やじうまWatchでも報じられ、静かに山田先生への感謝と追悼の声が広がっています。 このウェブサイトは、このうち「2ちゃんねる」のニュース速報+板という掲示板 (こちら) に立った山田耕嗣さん訃報のスレッド(トピック用の掲示板)、 【訃報】BCLの神様・山田耕嗣氏、逝去 というものを、スレ住人の提案で過去ログとして保存したものです。
山田耕嗣先生、夢と喜びをありがとう…天国で思う存分ラジオを聴いてください山田耕嗣先生は、テレビや新聞で大きく訃報として報じられたわけでもなく、ごく狭い、今となってはマニアックな趣味の世界の巨人・有名人ですが、2ちゃんねるに集う人たちの、ある年代以上にとっては、本当に「神様」のような人、子供の頃の憧れの人でした。 まだ67歳、あまりに早い急逝に残念な気持ちでいっぱいです。 スレッドでは、30年前にラジオにかじりついていた「元少年」が、先生の訃報に接し、懐かしく子供の頃の自分、BCL、そして山田耕嗣先生の偉業を、数日に渡って語り合って、「こんな楽しい話がいまできるなんて」と、ある意味で盛り上がっています。多くの、いまは若くないおじさんを一瞬にして少年に戻し、自然と人が集まる。まさに山田先生の人柄、子供に夢を与えてくれた仕事や生き方が、なせることでしょう。 このサイトは、天国にいく山田先生にこの声が届けと、お通夜や告別式に参加できなかったネット上の別れを惜しむ住人が、感謝のために作ったものです。私自身も、先生とBCLによって、世界の広さ、1つの物事を1方向ではなく、いろいろな方向から聞くことの大切さを教わり、耳を澄まして海外に思いをはせる楽しみを貰いました。心から、先生、ありがとうと伝えたい気持ちです。 山田耕嗣先生のご冥福を、心よりお祈りいたします。 山田耕嗣先生の逝去報道、追悼番組
スレで話題になった関連リンクラジオNIKKEI Webmasterのきもち (第一報を伝えてくれ、追悼番組も検討中?の旧ラジオたんぱの公式サイト) INTERVAL SIGNALS ONLINE (懐かしいISの音源を集めたサイト) 日露友の会−ペーチカ (「ロシアの声」日本語放送リスナーズクラブ) 月刊短波 ホームページ (〜世界の短波放送の話題満載〜) このサイトについて
私はたまたま2ちゃんねるのニュース系の板を見ますのでこの第一報に触れられましたが、マスコミの報道はほとんどなく、巡回先のブログや掲示板で触れられないなどで、気がつかないでいる「元ラジオ少年」の方も多くいらっしゃると思います。 何かのきっかけで昔のことを思い出すことはよくあります。例えば引越しでひょっこり、昔愛用していたリグ(ラジオ)や、集めていたベリカードが出てきて、「BCL懐かしいな…そういえば山田さんは今何をしているのだろう」なんて思って、改めてネットで検索してみて、何年後かにこの訃報に初めて接する方も、これからたくさんいらっしゃると思います。 このサイトは、元ラジオ少年が何年後かにふいに思い出してネット検索した時に、愛された山田耕嗣先生の歩みと、懐かしい自分の少年時代を振り返るきっかけに、保存したスレ住民の皆さんの書き込みがなると嬉しい。そんな密かなたくらみも持っています。 なお数日に渡って書き込まれた数千にものぼる数多くの哀悼の書き込みは、先生のお通夜にもご参列された ID:nDkgXyjO0氏によって、ご遺族の元へと届けられました。 *スレにアップされた画像類は全て保存してあります。原則的に全て掲載しましたが、スレに参加されていない方のサイトの画像やヤフーオークションの出品者の方の画像などは貼り付けていません。
■ ログに掲載されたベリカードや雑誌などの画像類、および音源は、それぞれの放送局、出版社などの著作権者に著作権があります。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||